2014年6月24日火曜日

春採湖の鍵

少し古い話になりますが、6月2日、管区長の釧路修道院公式訪問の日、北見、帯広の兄弟も全員集合し、日本管区の現状などの話を聞きました。釧路名物の霧もはれ、昼休みの時間、車で5分ほどのすぐ近くの春採湖に3人の兄弟で散
歩に行きました。久しぶりの散歩で汗かくほどになり上着もとって歩きました。それが災いしてか、ポケットに入れていた車の鍵を草むらの中に落としてしまいました。他の兄弟たちにも探してもらったのですが、午後の会議も始まるのであきらめて修道院に戻ることに。
 結局、後日ホームセンターにスペアキーを作りに行ったのですが、なんとその帰りに車に乗ろうとしたら、後ろから店員の方が走ってきて「お客さん、鍵を落とされていましたよ」と届けてくれました。聖アントニオの前日の出来事でした。「お陰様で…」と店員の方にも、聖アントニオにも感謝しなければならないのですが、老化が深刻化していることを実感させられ、不安といら立ちのほうが先になってしまいました。

じっくり噛むこと
 実は、それで先日の健康診断の時に認知症の検査もしていただいたのですが、「歳相応」とのことでした。しかし、日常生活が何かと不自由になり、周りの人にも迷惑をかけることが多くなって「何とか対策を」とネットで調べたら、誰にでもすぐできることとして「よく噛むこと!」とありました。これは北浦和修道院で、長崎巡礼を始める前に1年間実施したことがありますので早速始めることにしました。

 ところで、キリストの聖体の祭日の時の福音にも「私の肉を噛みなさい」とありました。私はこの意味が今もよくわかりません。ただ気づいたことがあります。聖体拝領してもすぐ忘れてしまうし、しかもそのことにほとんど不安も心配もしていない自分がいるということです。体の老化にはすごく敏感で、心を使っているのに、石のように固くなった心の老化についてほとんど何も心配していなかった自分に気づかされました。霊的生活での「認知症、脳こうそく」はもっと深刻になっているようです。キリストの御体を「じっくり噛む」ことから始め、御言葉を深く味わう「霊的有酸化呼吸」レクチオ・ディヴィナをしなければと考えています。

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