2008年11月27日木曜日

雨のち晴れの列福式

 生野教会巡礼団18名と共に今朝25日10時無事に、そして深い感動と新たな決意を胸に『列福式』から帰ってきました。

 大東教会の大山さん初め、長崎出身の信者の方々を中心としたグループと、パウロ会のファミリーのグループと総勢54名で、22日午後、2台のマイクロバスで出かけました。大阪から福岡までは往復フェリーで、船中で二泊し、世界遺産の候補、長崎教会群に選ばれている田平、宝亀、紐差、生月、平戸の教会、それから。ガスパル様で親しまれている、このたび福者に上げられたガスパルの殉教地を廻りました。

 隠れキリシタンの里、生月の教会では、王であるキリストを祝いました。この教会で洗礼を受け、初聖体、堅信も受けたと言うパウロ会のH師が司式をされ、100年前信徒発見に関わったミッション会と繋がりのあるC師、そして400年前この地に上陸した最初のフランシスコ会の兄弟ホアン・プブレと同じ兄弟会の属する、月足らずな者ではありますが私との共同司式で、隠れキリシタンの子孫と巡礼者たちが共にミサを捧げました。典礼聖歌の123番『主はわれらの牧者』を歌っている時なんともいえない感動を覚えました。

 列福式当日は予報どおり朝から雨でした。平戸を朝7時に出発し長崎市内に入る頃、一旦雨がやみ、日が差してきて一同歓声を上げました。市内は列福式一色といった感じで、会場の近くは、各地からかけつけた信徒の群れで溢れていました。頭ひとつ出して歩いていたルカ兄弟を見つけ、バスの中から声を掛けたが気がつきませんでした。前日から58キロ歩いてきた青年たちと一緒に歩いていた松井兄弟も見つけました。長崎と福岡の兄弟たちは勿論、長谷川管区長はじめ東京からも北海道からも数人の兄弟たちが参加していました。

 また、ローマの教皇特使をはじめ世界各地から、特にアジアの韓国やベトナム、フィリピン、インドの枢機卿や司教様方も多数列席しておられました。式が始まる前からまた少し雨が降り始めて、あたりは真っ黒い雨雲に覆われ、これからどうなることかと心配されたのですが、ミサが始まってからは雨もすっかり上がり、説教の時には陽の光りが差し始めていました。白柳枢機卿は力強く殉教者たちのメッセージを強調しました。「恐れることはない。勇気をだしなさい」と。

2008年11月19日水曜日

“壁を越えて”沖縄で黙想会

 10月27日から31日まで関西地区の兄弟の黙想会が沖縄で開かれ、東京からも二人の兄弟が参加してくれました。

 実は、その2週間前に、北11条教会の創立100周年と、翌日それに合わせて行なわれた、旭川での「正義と平和と環境保護」委員会に参加するため北海道に行きました。朝の温度が9度まで下がっていて暖房されていたのに、沖縄を立つ日には30度になっていました。寒冷地の北海道から亜熱帯の沖縄までの日本の国土の幅広さを改めて感じました。

 それだけでなく、北海道では、会議の後、北見、遠軽、士別教会をも訪問し、宣教師たちの残してきた足跡をたどることが出来ました。司祭不在となった士別の教会に泊めていただいたのですが、その夜たまたまNHKの『その時歴史は動いた』「神々のうた 大地にふたたび~アイヌ少女・知里幸恵の闘い」をみました。  「その時歴史が動いた」をクリックすればその内容が見れます。

 NHK の『篤姫』をごらんになっている方も多いかと思います。私もその一人ですが、その歴史はかなり美化、理想化されて描かれているように思います。400年前、薩摩藩は沖縄を侵略しましたが、明治新政府も、近代国家建設のために北海道と沖縄を利用してきました。

 黙想会は聖マリアの汚れなき聖心のフランシスコの姉妹会、聖クララ修道院で行なわれました。この修道院に隣接している与那原教会は小高い丘の上にあって、両側の壁が、床から天井までガラス張りで光と風に満ちていました。こんな教会が日本中にあったらきっと新しい発想が、新しい力が湧いてくるのではと思いました。