2008年9月29日月曜日

秋の気配が漂う京都で

 秋の気配が漂う京都で、『殉教』をテーマに1泊2日の黙想会を行ないました。
参加者は日本橋教会の青年たち5名。実は、夏休みに日本橋教会(総勢40人参加)みんなでキャンプに行ったんですが、今度は是非黙想会をして欲しいと言うことで、韓国語で黙想会をするのはしんどいのでためらっていたのですが、青年たちの熱意に押されて、チャレンジしました。

 今年は188人の殉教者が列福され、その中には京都の殉教者52人も含まれています。
また、9月は韓国では「殉教者の月」(9月20日は韓国殉教者の祭日)を祈念していることもあって、この機会に、日韓の殉教の歴史を顧みながら殉教者たちのメッセージを読み取ろうとしました。

 耳塚は、豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592年~98年)によって殺害された朝鮮の人々の鼻や耳が切り取られ、戦功のしるしとして日本に持ち帰られ、それが京都三十三間堂の近く、東山のふもとに埋葬されたものです。同じ頃、26聖人が長崎で十字架刑に処せられています(1597年)。この耳塚から西に僅か200m離れたところ、鴨川が流れる6条川原で、徳川秀忠によって京都の市民52名が十字架にかけられ火あぶりにされて殉教しました(1619年)。

 日本の国家権力がかつて隣国を侵略し、宗教を弾圧した歴史が単に400年前の歴史にとどまらず、明治、昭和の近、現代の歴史でも繰り返されたことを私たちはしっかりと学ばなければならないと思いました。特にここ数年、日本の保守化右傾化を思う時、危機感を持って行動していかなければと思いました。