2014年12月30日火曜日

2014年、1年を振り返って

 大阪生野から、北海道釧路への移転は私にとって今年最も大きな出来事でした。日本の冷蔵庫とも呼ばれている釧路に着任したのはまだ雪の残る4月8日でした。福岡育ちの私にとって寒さは苦手ではありますが、それほど心配はしていませんでした。これからまだまだ寒い日が続くのでしょうが何とか過ごせるのではと思っています。空気汚染がひどい大阪に比べ釧路は空気が澄んでいて、魚介類など食べ物も新鮮で、そのせいか体調はむしろ良くなっている感じです。最近は、きれいな夕日を修道院の窓から楽しんでいます。

ただ、こちらでの宣教司牧のスタイルにまだ戸惑っています。司祭に叙階されて来年で40年になりますが、それまでずっと小教区の教会に住んで宣教司牧に従事していましたが、釧路では緑ヶ丘の修道院に居住して、4つの小教区を巡回する形なので、同じ教会の信徒と出会うのは一か月に1回で、しかも根室と中標津は100キロ近くも離れているので前日から出かけることになって、ミサが終わると1時間ぐらい信徒の方たちと関わることができますが、それ以上の司牧的かかわりは難しいのが現状で、来年から、従来と異なるどんな新しい宣教司牧を目指すか私にとって大きな課題です。

二つ目の大きな出来事は札幌教区の正義と平和の担当司祭の任命を受けたことです。これまで、人口が集中している札幌市内を中心とした札幌地区の正義と平和委員会では、プロテスタントの教会をはじめ一般市民との幅広い活動が行われていますが、同じように活発な活動を続けている旭川地区以外での北海道の各地区での社会問題に関する取り組みは動きが鈍いように思えます。一つには正義と平和の問題に関する理解がちゃんと得られてないことに原因があるように思えます。これは日本の教会全体にも言えることで、司教団はそのために、「なぜ教会は社会問題に関わるか」という本を、社会司教委員会を通して発表しています。ちなみに、カトリック中央協議会のホームページでは、教会が社会問題に関わるようになった経緯を以下のように述べています。

「1967年、教皇 パウロ六世の呼びかけにより、ヴァチカンに「正義と平和委員会」が設立され、全世界の司教協議会にたいしても同じ趣旨の委員会を設けるようにという要請が出されました。それは、貧困、抑圧、差別のなかで、人間としての当然の権利を奪われ、苦しみの叫びを上げている多くの兄弟姉妹に愛をもって応えるためでした。日本でも、1970年「正義と平和司教委員会」が発足し、これと平行して信徒による自主的な活動も始まりました。さらに74年、これら司教による委員会と信徒の活動を一本化し、今日の「日本カトリック正義と平和協議会」がスタート。世界、特にアジアにおける社会正義と平和の実現のための活動を開始し、現在にいたっています。」

1981年、日本を訪問された教皇ヨハネ・パウロ2世の広島での『平和アピール』を受けて始められた、「日本カトリック平和旬間」の取り組みや、今年で20回目を迎えた「日韓司教交流会」も正義と平和の促進を目指しています。来年、戦後70周年を迎えるあたり、このような日本の教会の動きに札幌教区全体が連帯し、福音を証する時となればと願っています。

私にとって、教皇フランシスコの使徒的勧告「福音の喜び」との出会いも非常に大きな出来事でした。「新たな福音宣教は、信者に新しい信仰の喜びと、福音宣教の豊かさをもたらします。」(11)。「イエスの模範に忠実であるために、現代の教会があらゆる機会にためらうことなく、恐れることなく福音を告げるために出向いていくことは重要です」(23)と述べています。さらに、「出向いていく」教会とは門の開かれた教会です。隅に追いやれている人、道端に倒れたままにされている人に寄り添うために急用を断念し…、帰ってきた息子がすぐ入れるように門を開けままにするように…」(46)と呼びかけています。

「恐れるな、私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日あなた方のために救い主がお生まれになった。」(ルカ2,1011

 

 

 

 

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