その後も、アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と空爆を繰り返してきました。そんな国と安倍首相は「積極的平和主義」と称して、憲法9条を無視し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行いました。このような動きに対して今年の4月、松浦悟朗司教は、「平和をつなぐ」を著し、そのむすびのなかで、原爆に被爆しながらも平和を訴え続けた永井博士が二人の子供たちに遺言として言い残した言葉を載せています。
…日本をめぐる国際情勢次第では日本人の中から、憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。そしてその叫びがいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引き付けられかもしれない。
そのときこそ、誠一よ、カヤノよ、たとい最後の二人になっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱり『戦争反対』を叫び続け、叫びとおしておくれ!たとい卑怯者、裏切者と叩かれても、「戦争絶対反対」の叫びを守っておくれ!
70年前のあの戦争が、私の二人の妹の命を奪ったのだと思っています。さらにあの戦争で私たち日本人はアジアの人々の多くの命を奪ったのではないでしょうか。このことに思いをはせ、心に刻まなければと思います。そして、アジアの平和のため、世界の平和のために、世界の宝と言われている「平和憲法」をなんとしても守らなければと思っています。松浦司教は「平和をつなぐ」の中で、具体的に何ができるかをよく教えてくれています。
先日、札幌で中野晃一師の「憲法講演会」があり、日本の政治状況を学ぶことができました。8月の平和旬間にはより多くの人と実りのある集いを持つことができればと願っています。そのためにも、心から「主よ、私を平和の道具として下さい」と祈らなければと思っています。
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