2007年7月20日金曜日

ブログをはじめました。

子供たちは今日から夏休み。皆様いかがお過ごしですか。

 先日の福音(マテオ11,28-30)で、疲れたもの、重荷を負うものは誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげようと仰せになっています。次の日の福音では(マテオ12,1-8)で人の子は安息日の主であると。そして今日の福音ではイザヤの預言を成就した方として語られています。

 「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。異邦人は彼の名に望みをかける。」

 キリストがもたらしてくださる正義と平和はこのようにして実現していくのですね。まもなく平和旬間がやってきます。彼に望みをかけ、平和の道具となるようにと願っています。「私は柔和で謙遜なものだから私のくびきを負い、私に学びなさい」とのみ言葉を深く心に刻みたいと思っています。「私のくびき」とは何を指しているのか考えています。皆さんは何だと思いますか。

2007年7月14日土曜日

生野では千客万来

6月にはフィリピンで耳の不自由な人々のために活躍されているアポロ佐藤兄弟とパキスタンで知的障害を持った人々のために献身されているフランシスコ松本兄弟が訪ねてくださり、韓国のハルモニたちにやさしく話してくれました。主日のミサのときはシモン切江兄弟がオルガンを弾き、彼が答唱詩篇を独唱し、ナ・ヨハネ兄弟がプロジェクターを操作しました。3人のブラザーの兄弟がミサの奉仕をしてくれました。

7月のはじめには、総視察者としてフィリピンの管区長バルタザール兄弟と通訳者としてカリスト兄弟がこられました。この時集まった兄弟たちはこれまでの、そしてこれからの日本管区のあり方を象徴しているかのようでした。アメリカ人の兄弟、ドイツ人の兄弟、オランダ人の兄弟、フィリピン人の兄弟、韓国人の兄弟そして日本人の兄弟2人、計7人の兄弟が一つの食卓を囲みました。

6月の半ばに来た6人の韓国人の巡礼者はなんと、北京―天津から、ソウル―プサン、大阪―東京を約100日間かけて徒歩巡礼をなしとげ、帰りは新幹線で、再び生野に立ち寄り1泊され、東海道五十三次の旅の思い出を分かち合ってくれました。翌日船で韓国に戻られました。

追伸ですが、かつて私が瀬田の神学生だった頃、神秘神学(?)を教えてくださっていたカルメル会の田中輝義神父様が7月7日帰天され、昨日9日亡くなられるまで17年間チャプレンとして奉仕されていた西宮トラピスチヌ修道院で葬儀ミサが行なわれました。享年75歳。ご遺体は引き続き、修道院の墓地に埋葬されました。何十年ぶりに土葬に参加し、故人の冥福を祈りました

FIMってご存知ですか

70歳以下の兄弟の集まりに参加しました。キーワードはFIM。つまり、今度の管区会議はFraternity - in - Mission ≪派遣されて宣教する使命を帯びた兄弟共同体≫ をどう理解し、どう生きるかが問われているのだと思いました。

今回の参加者は35名ほどで、70才以下の兄弟60%ほどの参加で、もう少し多くの兄弟が参加してくれたらもっとよかったのにとの思いもありましたが、それでも久しぶりに多くの兄弟に会え、いろんな分かち合いができ、楽しいノミニケーションもありました。

わたしにとって興味深かったのは、ケーススタディーの旭川地区の取り組みと、東京ブロックの1小教区8修道院の取り組みです。それは、FIMを先取りした取り組みのように思えました。それは、共同体が従来の仕事中心の使徒的モデルから、兄弟、しかも小さき兄弟としての共同体を大事にする関係性モデルに転換しようとする試みだと感じました。

もう一つケーススタディーは日本管区がすでに直面している老老介護の問題です。もう先延ばしにして逃げる事のできない状況におかれていると実感しました。これまでの使徒職モデルでは破綻するしかないでしょう

天然温泉より、天国温泉

 2月3日午後、母が93歳の長寿を全うし天に召されました。正直ほっとしています。母にとっては長い間待ち望んでいた、恵みの日、救いの時でした。「主は折れた葦を切り離さず、くすぶっている灯心を消さず」そっと救いに預からせてくださったと感じています。

 ちょうど1ヶ月前の正月に母を訪ね、次の日には母を連れて、福岡の小郡にあるクララ会に行き、そこでシスター方とご一緒に御ミサを捧げることができました。記念写真も撮り、おせち料理もいただきました。その後、母がぜひお尋ねしたいと願っていた大橋の母の実家に寄せていただきました。母の兄になる方は96歳でまだお元気で、久しぶりに昔話を楽しむ和やかなひと時を持つことが出来ました。

 ひとつ心残りは、母が大好きな温泉に連れて行ってあげられなかったことでした。湯冷めなどして肺炎にでもなったらとの心配もあったからですが、じっさい、このたび肺炎がきっかけで亡くなったわけです。武田哲也のお母さんではないですが、母は今、「道生、なーも心配せんちゃよか。天然温泉より天国温泉のほうがよかと」と言っているようです。

 母は5人の子供を授かったのですが、二人の女の子は、食べるものにも事欠いた戦後まもなくの頃、病気で失いましたし、とりわけ婚約までしていた長男を交通事故で亡くしたときの悲しみはどれほどだったかと思います。それに母は結核をわずらい目もかなり不自由でした。人生の半分以上は入院生活だったように思います。そんななか、母はマリアの名で1968年(昭和43年)クリスマスに洗礼を受けました。私が修練者のときです。

 洗礼の水によって神のことしていただいた母はいま、私のところに来なさい休ませてあげよう」と言われて、天国の温泉に入れてもらっていることと思います。そこは最高の露天風呂です。私たちもいつかそこで裸の付き合いが出来るんですよね。

兄弟ウルバン無事退院。そして…

  1月9日に入院し、翌10日4時間を越える大手術を無事終えて、予定より1日早い19日金曜日に退院できました。摘出された腎臓は両手のひらに乗るくらいの大きさでした。脂肪が半分以上を占めていました。おかげでと言うか、7~8キロ痩せられました。

 21日からの主日のミサをはじめ、すべての司牧活動を再開されたのには驚きました。宣教師魂を見せ付けられた感じです。22日には関西地区の地区集会にも出席し、手術前後の詳しい話を本人から直接聞きました。1日~2日はやはり痛みがあってあまり眠れなかったとのことです。食事もあまり口に合わず辛かったようです。  この間、多くの兄弟たちから見舞いの電話やお祈りを頂き感謝しています。お隣のお告げの姉妹たちは園児たちを、聖体訪問につれてきて、無理やり?お祈りさせたとのことです。お見舞いの品もたくさんいただきました。中でもパンはたくさん頂いて、売るパンが出来るほどでした。

 そんなこんなもあって2月5日から静養を兼ねてドイツに帰国しました。30日間、体も十分休めて、もた元気になってもどって来られる様お祈りください。

新年明けましておめでとうございます。

ムジゲ(虹)の便りPartⅡを大阪から発信することにいたしました。

フランシスカン再宣教100年を記念するこの年に新しい風が吹き始めたらと願っています。海外からだけでなく、国内各地の声が、思いが繋がっていって虹となってフランシスカンの夢を実現できたらと思っています。正月に着物を着た姿を見るのがめっきり少なくなりましたが、「神の母聖マリア」の祝った元日のミサに預かる前の記念の写真です。韓国の人たちは家族がみんな信者になると聖家族になったと喜び祝います。写真のこの家族も昨年のご復活にご主人が洗礼を受け、毎週日曜日喜んで家族一緒にミサに預かられる聖家族です。大阪では韓国人の奥さんが信者で、結婚しただんなを信者に導くケースがかなり多いです。傍目からは結構強引だと思うんですが、結果はたいていみなさん幸福な家庭生活を築いておられます。折があろうとなかろうとひたすら信者になるのを勧められて、男性は根負けして(?)教会に通うようになり、洗礼まで行きます。 少々則を超えたことがあったとしても、人間の思惑を超えて神様の恵みは働くのだと思います。よく信徒の教育が必用だと叫ばれることがありますが、むしろ司祭が信徒を深く信頼し、その業を祝福するように招かれているのではないかと思います。そういう私がまだ信徒を信頼できてないのが現状ですが、まず一歩を踏み出そう。そう思っています。